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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)8155号 判決 1988年1月19日

原告

町田泰啓

被告

高木馨

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三二二万五二四八円及びこれに対する昭和五五年二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の受傷と治療経過

(一) 原告は、昭和五五年二月一〇日、自動二輪車を運転して走行中、折から対向車線を走行してきた車両と正面衝突し、右下肢の大腿骨及び下腿骨各骨折の傷害を負い(以下「本件交通事故」という。)、直ちに救急車で被告の経営する高木整形外科医院(以下「被告医院」という。)に搬送された。

(二) 原告は、同月二一日、被告医院において被告から右下肢の大腿骨、脛骨及び腓骨に対する観血的整復術及び固定術を受け(以下「本件手術」という。)、右手術の抜糸後である同年三月二日退院した。

(三) 原告は、同月四日、菊池外科病院へ入院して治療を継続し、同年五月九日、本件手術による手術使用挿入金具等をすべて取り替える再手術を受け、同年九月一三日、同病院を退院して通院に切り替え、昭和五六年七月一五日同病院に再入院して挿入金具の抜去手術を受け、同月二五日同病院を退院して昭和五七年二月四日まで通院したが、昭和五八年二月二四日右下肢膝関節に二〇度の運動制限を残して症状が固定した。

2  責任原因(被告の債務不履行及び不法行為)

(一) 整形外科医が、(一)(1)大腿骨骨折の治療として整復及び固定をするに当たつては、骨折した上下の骨を直線的に吻合させたうえ、十分な長さのプレートを使用してこれを固定し、また、骨片が外部に飛び出さないようにすべき注意義務があり、(2)腓骨骨折の整復をするに当たつては、腓骨を脛骨に対して外側に湾曲するような状態に位置させるようにすべき注意義務があり、(3)また、脛骨骨折の整復及び固定をするに当たつては、適切な長さのねじを使用して固定すべき注意義務があるところ、(二)被告は、これをいずれも怠り、(1)原告の右大腿骨の骨折部分の上下の骨を曲がつて向き合わせたうえ、不十分な長さのプレートを使用してこれを上下の骨にねじで止め、骨片の一部を外部に突出させたままにし、(2)原告の右下肢の腓骨の湾曲が逆向きになるような状態のまま放置し、(3)また、原告の右下肢の脛骨の直径をはるかに超えるねじを使用し、これを脛骨に隣接する筋肉内にまでねじ込ませた過失により、骨折箇所に対する最低限必要な固定をせず、本件手術箇所(右下肢大腿部の中間部分)に菌を感染させて骨髄炎を発生させた(以下「本件医療過誤」という。)ため、骨折の治癒不全による再手術を余儀なくさせ、その治療期間を遷延させたものであるから、民法七〇九条により、原告の被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告は、原告との間において診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結していたものであることろ、被告の原告に対する診療行為は、右(一)のとおり、右契約の本旨に反する不完全なものというべきであるから、民法四一五条により、右債務不履行により原告の被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

3  損害

(一) 慰藉料 一〇〇万円

原告は、前記受傷により昭和五五年二月一〇日から同年九月一三日及び昭和五六年七月一五日から同月二五日までの合計二二五日間入院を余儀なくされたが、右入院期間のうち、被告医院における右下肢大腿部の手術日である昭和五五年二月二一日から菊池外科病院における再手術日の前日である昭和五五年五月八日までの七七日間は、被告医院における右手術の失敗により菊池外科病院において再手術をしなければならなくなつたために経過したものであるから、原告に対する治療が適切になされていれば必要のなかつた無益な入院期間が経過したものというべきである(以下右七七日間を「本件無益な入院期間」という。)。しかも、原告にとつて本件無益な入院期間は、受傷による苦痛に満ちた期間であつたのであり、右期間における原告の苦痛を慰藉するためには、一〇〇万円をもつてするのが相当である。

(二) 逸失利益 一八一万二七四七円

原告は、高等学校を昭和五六年三月二五日に卒業して直ちに就職する予定であつたが、被告医院における手術の失敗により治療期間が右のように遷延したため、入院日数が授業日数の四分の一を超え、取得単位不足で卒業が一年間遅れ、その結果一年間の得べかりし収入を喪失した。その間の原告の得べかりし手取年収は、昭和五七年四月から同年一二月までの勤務先であるダン産業株式会社における手取収入を年額に引き直した金額が二〇一万四一六四円であるから、右金額からその一〇パーセントを控除した一八一万二七四七円を下らない。

(三) 付添費用 一二万三三九一円

原告は、昭和五五年二月一〇日から同年三月一日までの二一日間朝日看護婦家政婦紹介所から付添人を雇用し、その費用として一二万三三九一円を支払つたが、右費用は本件無益な入院期間中の出費であるから、本件医療過誤と相当因果関係のある損害というべきである。

(四) 入院雑費 三万八五〇〇円

原告は、本件無益な入院期間中に、入院雑費として一日五〇〇円の割合合計三万八五〇〇円を下らない支出をしたが、右雑費は本件医療過誤と相当因果関係のある損害というべきである。

(五) 親族交通費 四万円

原告の両親及び祖父らは、本件無益な入院期間中に、自宅と被告医院との間を自家用車で数回往復し、右期間中に高速道路代を含めて合計四万円の右交通費の支出をしたが、右交通費は本件医療過誤と相当因果関係のある損害というべきである。

(六) 治療費 一五万円

原告は、本件無益な入院期間中被告医師に対して治療費として一五万円を支払つたが、右費用は、本件医療過誤と相当因果関係のある損害というべきである。

(七) 高校月謝及びPTA外会費 六万〇六一〇円

前記のように、原告は、被告医院における手術の失敗により高校卒業が一年間遅れ、右卒業遅延のために月謝及びPTA外会費の合計六万〇六一〇円を余計に支出せざるをえなくなつたが、右は、本件医療過誤がなければ支出する必要がなかつた費用であるから、本件医療過誤と相当因果関係のある損害というべきである。

4  結論

よつて、原告は、被告に対し、本件医療過誤による損害賠償として、右損害の合計三二二万五二四八円及びこれに対する本件手術の日である昭和五五年二月二一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(原告の受傷と治療経過)の事実のうち、(一)及び(二)は認めるが、(三)の事実は知らない。

2  同2(責任原因)の事実はすべて否認ないし争う。

3  同3(損害)の事実はすべて否認ないし争う。

4  同4の主張は争う。

三  被告の主張

1  被告医院に搬送されてきた昭和五五年二月一〇日当時の原告の状態は、右大腿骨の粉砕骨折と変形、右下腿の挫滅創と出血、右下腿骨の開放性骨折と変形、右大腿部から右下腿部にかけての腫脹と圧痛及び背部と左臀部の熱傷が認められ、全身状態不良、高度なシヨツク状態、血圧低下、意識混濁、逆行性健忘がみられるというものであつた。

そこで、被告は、原告に対し、同日中に、レントゲン撮影により右下肢の大腿部及び下腿部の骨折状態を把握したうえで、右大腿骨骨折部に介達牽引をし、また、右下腿創部の汚染部位及び挫滅部位の切除と創部切開及び生理的食塩水による切開部の洗浄処置、背部熱傷の処置を施し、電解質輸液(ラクテツクG)及び止血剤(ケイツー及びアドナミンC)を点滴投与し、消炎酵素剤(エンピナースP)、非ステロイド抗炎症剤(インダシンR)及び抗生物質(スシラリン)を内服処方し、消炎・鎮痛剤(インドメタシン)の座薬を投与し、破傷風予防薬(破傷風トキソイド)を皮下注射し、湿布の処置をした。

2  被告は、同日から原告の右下肢の大腿骨及び脛骨の観血的整復・固定術を実施した同月二一日まで、原告の全身状態の改善、貧血状態の改善、創部、骨折部、腫脹部及び熱傷部の治療、感染予防を目的とした処置及び投薬を行つた。

3  被告は、同月二一日、原告の右下肢の大腿骨及び脛骨の観血的整復・固定術を実施したが、その具体的内容は次のとおりである。

(一) 本件手術は被告、麻酔医一名及び看護婦五名で実施した。

(二) 大腿骨は粉砕されていたため整復が困難であつたが、粉砕骨片を集め単鈍鉤を使用して辛うじて整復し、一五センチメートルのプレートと四本のねじ釘で固定した。大腿骨の粉砕骨折の場合、完全に骨折前の状態に整復することは不可能であるが、被告は可能な限り骨折前の状態に復するように整復及び固定に努力したものであり、固定に使用したプレートの長さが不十分であつたということはない。

(三) 下腿には開放創があつたので、汚染組織をていねいに除去した後生理的食塩水五〇〇ミリリツトルで洗浄し、脛骨の骨折部位を一三センチメートルのプレートとねじ釘で固定した。

脛骨骨折の固定に当たつては、固定を確実にすることが必要なのであつて、本件手術に際し固定に使用したねじが長すぎたことはないし、また、特にねじを筋肉にねじ込ませたということもない。そもそも、固定に使用するねじが周囲の筋肉組織に全く接触しない又は入り込まないということはありえないことであるし、筋肉組織に接触し又は入り込んだが故に危険であるということはない。

腓骨はほぼ真つすぐなのが正常であつて、湾曲しているものではないし、本件の場合、脛骨の整復及び固定は必要であるが、腓骨については整復及び固定の措置は採るべきではなく、そのままにすべきものであつた。

また、本件手術における感染防止措置は十分であつて、右大腿部の手術時に細菌感染は起きていない。

(四) 手術後腰部から右足先までギプス包帯で固定した。

4  本件手術以降、被告は、原告に対し、電解質輸液(ラクテツクG又はヘマセル)、止血剤(ケーアイン及びアーツエー)及び抗生物質(メピラシンS)の点滴投与並びに背部熱傷及び手術創の処置を中心とした治療を実施し、原告の状態は、本件手術の翌日にめまい及び頭痛の症状があつたものの、足部の知覚障害及び右下肢の神経麻痺はみられず、原告が被告医院を退院した同年三月一日までには、全身状態はほぼ良好となり、貧血もかなり改善され、手術創の疼痛もほとんど消えていた。

なお、同年二月二七日午後零時一〇分ころ、原告は、三八・六度Cまで一時的に発熱したが、翌二八日には平熱に戻り、その後被告医院を退院するまで発熱はみられなかつた。

また、被告医院転院時に右大腿部に骨髄炎が発症していた事実はない。

四  被告の主張に対する認否

すべて否認ないし争う。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(原告の受傷と治療経過)の事実のうち、(一)及び(二)は当事者間に争いがない。

二  右争いのない事実に成立に争いのない甲第二号証、第三及び第四号証の各一、二、第五号証、第一四号証の一ないし六、第一六号証、第一七号証の一ないし五、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第二ないし第四八号証及び第四九号証の一ないし四、被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一ないし三一、証人町田光子及び同大角毅の各証言、原告及び被告各本人尋問の結果、鑑定人田川宏の各鑑定の結果並びに弁論の全趣旨(ただし、証人町田光子及び同大角毅の各証言並びに原告及び被告各本人尋問の結果中左記認定事実に反する部分を除く。)によれば、以下の事実が認められ、右認定に反する証人町田光子及び同大角毅の各証言部分並びに原告及び被告各本人の各供述部分は右各鑑定の結果に照らしいずれもこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告が本件交通事故直後に搬入された当時の被告医院は、一九人の患者を収容し得る施設を有する医療法上の診療所であり、本件手術当時は整形外科医一名(被告)及び看護婦六ないし七名が常駐し、手術を実施する必要があるときには随時近隣の麻酔医一名の応援を求めるという態勢になつていた。

2  被告医院に入院した当日における原告の身体状態は、次のとおりであつた。

(一)  右大腿骨には閉鎖性の横骨折と転位があつた。骨折の状態は、右大腿骨が中央よりやや下部において上下に二つに割れていたほか、この骨折線付近に二、三の小さい第三骨片が点在しているいわゆる複骨折の状態であつた。

(二)  右下肢の脛骨及び腓骨はいずれもそのほぼ中央部において開放性に骨折して転位しており、骨折部位は挫滅創となり、創部は土砂に汚染され出血が見られた。

(三)  右下肢の大腿部から下腿部にかけては腫脹と圧痛があり、背中央部と左臀部には熱傷がそれぞれあつた。

(四)  右のような複数の部位にわたる外傷のため、入院当日の原告の全身状態は悪化しており、かなり多量の出血のため血圧が低下しいわゆる出血性のシヨツク状態にあり、意識混濁及び逆行性健忘もみられた。

3  被告は、入院当日、原告に対し、次のような治療処置及び全身管理を行つた。

(一)  下腿開放創に対しては、感染を防止するため、汚染組織を切除し、創部を切開して生理的食塩水で洗浄する処置(デブリードマン)をし、破傷風予防薬(破傷風トキソイド)を〇・五ミリリツトル皮下注射し、抗生物質(スシラリン)を内服処方した。

(二)  右下肢の大腿部及び下腿部の骨折部位に対しては、レントゲン撮影により骨折状況を把握したうえ、患部の湿布、患部固定のうえ介達牽引による骨折部位の安静、除痛及び転位の減少のための処置を採つた。

(三)  また、背部熱傷創の処置及び全身管理等のために、電解質輸液(ラクテツクG)及び止血剤(ケイツー及びアドナミンC)を点滴投与し、消炎酵素剤(エンピナースP)及び非ステロイド抗炎症剤(インダシンR)を内服処方し、消炎・鎮痛剤(インドメタシン)の座薬を投与した。

4  被告は、原告の入院当日その骨折部位を診察して骨折部位に対する観血的整復・固定術を行う必要があると判断したが、原告の全身状態が悪化し出血性シヨツク状態にあつたため、右手術を行うことができず、原告の全身状態の改善を図ることとし、本件手術を実施した同月二一日までの間、原告の体温、血圧及び血液検査を随時行つて、原告の全身状態及び創傷感染の有無等を監視しながら原告の全身状態及び貧血状態の改善を目的として毎日点滴を行うとともに、同月一六日及び一七日の両日それぞれ四〇〇ミリリツトルずつ輸血をし、また、創部、骨折部、腫脹部及び熱傷部に対しては、治療及び感染予防を目的とした湿布等の処置及び投薬を行つた。

この間、数回にわたり原告の両親が被告に対して原告を菊池外科病院へ転院させることを申し入れてきたが、被告は、原告の全身状態が悪化しており、移送中に生命にかかわる容態になるおそれがあつたため、転院に同意せず、原告の両親もその旨を了解した。

右治療の結果、同月一九日に至り、原告の貧血状態に改善がみられ、また、創傷感染も起こつていないことが確認されたため、被告は、原告に対する全身麻酔による手術が可能になつたと判断し、同月二一日原告の右大腿骨及び右下腿骨に対する観血的整復・固定術を実施することとした。

5  被告は、同月二一日、麻酔医一名及び看護婦四名の援助を得て、全身麻酔の下で原告の右大腿骨及び脛骨の観血的整復・固定術を次のとおり実施した。

(一)  ゴム製の駆血止血バンドを手術部位の上部に巻いた後、右大腿前側方からメスを入れて皮膚を切開して筋肉に達し、更に筋膜を縦に切開して外側広筋の外側から大腿骨に達した。

大腿骨は五ないし七個の大骨片及び小骨片に分離していたため、整復はかなり困難であつたが、分離飛散していた第三骨片は単鈍鉤を使用してできるだけ元の位置の近くに寄せ集めて置き、上下に割れた大骨片は長さ約一五センチメートルの金属内副子(ミズホエガスプレート)と四本の金属螺子(ねじ)で内固定し、これらの骨片を筋肉で包んで筋膜及び皮膚を縫合した。

本件手術後右大腿骨の中枢骨片と末梢骨片との間に約一五度の外側凸の屈曲転位が生じ、また、第三骨片は、完全に整復されず、骨折部の内部に大骨片からやや解離して存在することになつた。

(二)  脛骨のやや外側、すなわち前脛骨筋の内側からメスを入れ脛骨に達した。

下腿には開放創があつたので、汚染組織を除去した後生理的食塩水五〇〇ミリリツトルで洗浄し(デブリードマン)、脛骨の骨折部位を長さ約一二センチメートルの金属内副子(ミズホエガスプレート)と四本の金属螺子(ねじ)で内固定し、皮膚を縫合した。プレートとねじによる内固定の際、ねじの長さが脛骨の直径に比べ長かつたため、その末端がプレートを当てた面の対側骨皮質を貫いて約五ミリメートル弱突出した。

腓骨の骨折部位に対しては、何らの整復及び固定の措置も採らずそのままにしておいた。

(三)  本件手術終了後腰部から右足先までをギプス包帯で覆い外固定した。

6  被告は、本件手術以降、原告に対し、電解質輸液(ラクテツクG又はヘマセル)、止血剤(ケーアイン及びアーツエー)及び抗生物質(メピラシンS)の点滴投与並びに背部熱傷及び手術創の処置を中心とした治療を実施し、原告の状態は、本件手術の翌日にめまい及び頭痛の症状があつたものの、足部の知覚障害及び右下肢の神経麻痺はみられず、原告が被告医院を退院した同年三月二日までには、全身状態はほぼ良好となり、貧血もかなり改善され、手術創の疼痛もほとんど消えていた。

なお、同年二月二七日午後零時一〇分ころ、原告は、三八・六度Cまで一時的に発熱したが、翌二八日には平熱に戻り、その後被告医院を退院するまで発熱はみられなかつた。

7  原告は、同年三月二日自身の希望により菊池外科病院へ入院する予定で被告医院を退院して帰宅し、二日間自宅において臥床安静した後、同月四日菊池外科病院へ入院して治療を継続した。

自宅安静時から菊池外科病院への入院当初にかけて右大腿部手術創から浸出液がみられたが、創痛はほとんどなく、発熱が継続したこともなく、同月五日における血液検査においても血沈値及び白血球数は正常であり、同月八日以降は浸出液もみられなくなつた。また、CRP値は、右血液検査においては陽性を示していたが、同年四月五日、同月一六日及び同年五月八日における血液検査では陰性となつていた。

原告は、菊池外科病院に入院中、同月九日に大角医師により創部再縫合手術を受け、更に同月二二日には同病院の羅医師らにより、被告が右大腿骨に対し本件手術で使用した挿入金具等をすべて取り去り、改めて大腿骨骨髄内にキユンチヤーを挿入して骨折部を固定する手術(以下「本件再手術」という。)を受けた。本件再手術の際、手術に当たつた羅医師らは、原告の右大腿骨骨折部の状態を現認して、骨折部が癒着しておらず、その周辺に多量の繊維組織が存在するのを確認し、骨髄炎の発症を疑つたが、本件再手術の時点では細菌の検出は行わなかつた。

その後、原告は、同年九月一三日菊池外科病院を退院して通院に切り替え、昭和五六年七月一五日同病院に再入院して挿入金具の抜去手術を受け、同月二五日同病院を退院し、昭和五七年二月四日まで通院したが、昭和五八年二月二四日右下肢膝関節に運動制限を残して症状が固定した。

三  そこで、右事実に基づき被告の原告に対する本件手術等治療行為に原告指摘の本件医療過誤があつたかどうかについて判断する。

鑑定人田川宏の各鑑定の結果によれば、(一)被告医院における入院当初の原告に対する点滴投与及び輸血などの全身管理の内容並びに右下肢開放創に対するデブリードマン等の感染防止対策及び右下肢の骨折に対する介達牽引等の転位減少対策などの局所的処置の内容はいずれも適当なものであり、欠陥は認められないこと、(二)右下肢の大腿骨骨折と下腿部の脛骨及び腓骨骨折の両方を合併した原告の受傷状態においては、少なくとも五〇〇ミリリツトルの出血を伴つたものと推定され、右出血に伴う前記認定のような強い貧血と血圧低下による出血性シヨツクの状態にあつた原告を他の病院に転院させることは危険であり、原告の両親からの転院希望を断わつて被告医院に継続して収容し、その貧血と全身状態の改善を図つた被告の処置は、医師の一般的な処置として適切であつたといえること、(三)骨折の手術においては、骨折部の整復と固定が重要であるが、同時に骨の癒合を妨げないという観点から、骨への血流を阻害しないよう最小限の骨膜剥離で整復を図るのが正しい手術手技であるところ、原告の大腿骨骨折の場合、骨折部の周囲に飛散した小さな第三骨片を骨膜等の周囲組織から完全に遊離させてまで完全な整復を図ることは、血流の全く途絶した骨片を介在させて骨の癒合を妨げる結果となりかねないという点で望ましくなく、かえつて周囲の軟部組織との連絡を絶つことなく骨折部に添えておくことにより仮骨形成を促進させる方が望ましいと考えられ、したがつて、被告が、第三骨片を完全に整復せず、骨折部の内部に大骨片からやや離開した状態で寄せ集めて置く処置を採つたことをもつて不適切な処置であつたとはいえないこと、(四)原告の大腿骨骨折の状態からみて、その大骨片の整復の難易度は観血的整復固定術としては中程度であつたといえるが、原告の右骨折状態にみられるように骨折端の一部が第三骨片となつて欠損している場合には、プレートを挿入するのに必要な最小限の切開部位から視認可能な範囲の大腿骨の部分のみを見ながら上下の大骨片を正常な状態に整復することは比較的難しく、手術時には正常な状態に整復したと判断されたときでも、手術後の大腿骨全体のレントゲン撮影で上下の大骨片の屈曲転位が発見されることはしばしばみられること、(五)前記認定のとおり、本件手術における大腿骨の整復状態はやや不完全で、その結果、右大腿骨の中枢骨片と末梢骨片との間に約一五度の外側凸の屈曲転位が生じたが、本件手術当時の原告の年齢が一七歳であつたことを考慮すると、長期間の時間経過を見れば骨折部の凹側への骨添加や凸側の骨吸収などによる自家矯正による屈曲転位の角度の減少が二ないし三度程度期待することができるのみならず、仮に右のような自家矯正が起こらないまま骨癒合が起こつたとしても、一五度の屈曲変形は、それが外見上体外から確認できるかどうかという観点からは許容範囲の限界線上にあるものの、日常の生活動作や歩行機能には障害を及ぼさないこと、(六)前記のように、大腿骨に関する本件手術には第三骨片の離開や大骨片の屈曲転位など主要骨片間の接触を確保するという観点からは必ずしも十分とはいい難い点があるが、それにもかかわらず、骨折端間の接触はその断面積の三分の二以上は確保されており、骨癒合に必要な整復は十分に得られていると判断されること、(七)原告の骨折のように大腿骨のほぼ中央部の横骨折の場合、その観血的整復・固定術に使用する挿入金具として、金属内副子(プレート)又は髄内釘(キユンチヤー)のいずれを選択すべきかについての明確な基準は確立されておらず、その選択は手術する医師の裁量に委ねられており、キユンチヤーを使用する場合には、骨折部を切開しないで固定することが可能なため、骨癒合に都合がよいとか細菌感染が少ないなどの長所があるが、本件手術にプレートを使用したことが誤りであつたと断定できるものではないこと、(八)大腿骨の観血的整復固定術においては、大腿部の筋力が強いため、内固定の材料もある程度強固な固定力を有するものを使う必要があるが、本件手術の際に大腿骨の固定材料として使われたプレートの長さは約一五センチメートルであり、長さの観点からは固定力に不足することはないこと、(九)プレートを大腿骨に固定する際に使用される金属螺子(ねじ)の数は、最低限上下の骨片に対して二本ずつ使用する必要があるところ、本件の場合大腿骨に対しては上下それぞれ三本ずつ使用した方が固定力はより強固になつたものと考えられるが、本件手術においては上下の骨片に対してそれぞれ二本ずつ使用し必要最小限の本数は使用されているのみならず、手術後にギプスによる外固定も加えられているので、骨の癒合に必要な固定力は得られていたものと考えられること、(一〇)脛骨と腓骨が共に骨折している場合には、腓骨の骨癒合が先行して脛骨骨折面に必要な圧迫力が加わらなくなり脛骨の骨癒合を妨害する結果が生じるのを防ぐため、脛骨のみを整復・固定し腓骨はそのままに放置することが骨折治療の一般的な常識であり、被告が原告の腓骨の骨折部位に対して何らの整復及び固定の措置を採らなかつたことをもつて不適切な処置とはいえないこと、(一一)腓骨骨折部に多少の変形があつても機能上及び外見上全く障害にはならず、原告の腓骨には良好な骨癒合が得られており、術後経過に格別異とすべき問題はみられないこと、(一二)本件手術において、脛骨の整復固定に使用されたプレートの長さ及び金属螺子の数はいずれも適当と認められ、また、金属螺子の長さはプレートを当てた面の対側骨皮質を貫くに十分な長さであることが必要条件であつて、このため通常数ミリメートルの突出が生じることがあつても何ら差し支えはなく、一センチメートルにも及ぶ突出は好ましくないが、原告の脛骨における約五ミリメートル弱程度の金属螺子末端の突出は問題がないこと等の各事実が認められ、右認定事実に抵触する証人町田光子の証言部分は伝聞に過ぎず、また、証人大角毅の証言部分は本件手術当時の整形外科医の一般的な知見に基づくものではないと解されるから、いずれもこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、右認定事実によれば、被告のした本件手術は、当時の整形外科の実践的な医療水準に照らし、これを下回るものとはいえず、整形外科医の一般的な知見に従いその裁量の範囲内でされたものというべきであり、したがつて、原告の受傷部分に対する被告の治療及び本件手術につき過誤があつたとはいえないものというべきである。

また、鑑定人田川宏の各鑑定の結果及び被告本人尋問の結果によれば、(一)(1)骨髄炎とは本来骨の化膿性炎症を意味するのであるが、日常、臨床家の間では、骨折部に生じた何らかの炎症性変化を、それが細菌による化膿性炎症であることが確認されないときでも、「骨髄炎」と表現することがしばしば行われていること、(2)骨髄炎には創部からの浸出液を伴うのが通常ではあるが、化膿性炎症がなくても浸出液を伴うことはあり得るから、浸出液の存在は必ずしも骨髄炎の発症を証明することにはならないこと、(3)骨折部における繊維組織の存在も化膿性炎症を証明するものではないこと、(4)骨そのものの化膿性炎症であれば、局所の発赤、圧痛及び疼痛、発熱の継続、白血球数の増大、赤沈値の亢進及びCRP値の亢進等の血液検査結果上の変化、骨破壊や吸収などのレントゲン写真上の骨像の変化が認められるのが通常であること、(5)骨癒合が種々の原因で甚だ緩慢にしか進行しないため骨癒合に長期間を要している状態を遷延治癒といい、また、骨形成能がほとんど喪失し、もはや骨癒合が得られない状態を偽関節というものであるところ、大腿骨骨折の場合には、骨折部の観血的整復・固定術が成功して順調に経過したときでも骨癒合には三か月以上の期間を要し、骨新生を示す仮骨形成をレントゲン撮影で確認できるまでに通常六週間以上の期間を要すること、(6)骨折部の状態が偽関節と判断された以上は再手術以外に骨折部の治療方法はないといえるが、遷延治癒の段階にとどまつている限り、再手術をするかどうかはその骨折治療を担当している医師の裁量に委ねられており、遷延治癒の状態にある以上再手術しなければならないということが本件再手術当時の整形外科医の一般的な知見になつていたとまではいえないこと、(二)本件再手術の際、担当医らが原告の右大腿骨骨折部の状態を現認して骨折部が癒合しておらずその周辺に多量の繊維組織が存在するのを確認していることからすれば、当時大腿骨の骨折部に関しては遷延治癒の状態に陥りつつあつた可能性もあるが、偽関節と断定するためには通常六か月以上骨の癒合状態を確認する必要があり、繊維組織の存在だけから偽関節と判断することはできないから、本件再手術当時原告の右大腿骨骨折部が偽関節の状態にあつたものと断定することはできないこと等の各事実が認められ、前掲甲第一六号証及び証人大角毅の証言中右認定に反する各部分は、本件手術当時の整形外科医の一般的な知見に基づくものとはいえないと認められるから、いずれも採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

したがつて、自宅安静時から菊池外科病院への入院当初にかけて原告の右大腿部手術創から浸出液がみられたこと、昭和五五年三月五日における血液検査においてCRP値が陽性を示していたこと及び本件再手術当時原告の右大腿骨骨折部の周辺に多量の繊維組織が存在していたこと等の前記認定の事実から、直ちに被告医院からの退院時に原告の右大腿部に骨髄炎が発症していたと認めることはできないうえ、被告医院退院時から菊池外科病院入院時の前後にかけて、原告には、局所の発赤、圧痛及び疼痛並びに発熱の継続がみられたことはなく、右血液検査における血沈値及び白血球数は正常であり、CRP値も同年四月五日、同月一六日及び同年五月八日における血液検査では陰性となつていたこと、同年三月八日以降は浸出液もみられなくなつたこと等の前認定の事実並びに本件全証拠をもつてしても骨破壊や吸収など骨の変化の存在を認めるに足りないことに照らすと、被告医院退院時に原告の右大腿部に骨髄炎が発症していたとの事実は、到底これを認めることはできないものというべきである。

なお、前掲甲第三号証の二及び第一六号証並びに証人町田光子の証言中には、菊池外科病院への入院当時原告の右大腿部に骨髄炎が発症していたことをうかがわせる部分があるが、右部分は、前記認定事実及び証人大角毅の証言に照らし、臨床において骨折部に何らかの炎症性変化がみられたため、それが細菌による化膿性炎症であることが確認されないにもかかわらず、骨髄炎という言葉を使つて表現したものに過ぎず、骨の化膿性炎症のことを意味する趣旨で使われたものではないと解するのが相当であるから、右認定判断を覆すに足りないものというべきである。

したがつて、原告の受傷部分に対する治療及び本件手術につき、被告に過失があることを前提とする民法七〇九条に基づく請求及び被告に診療契約上の債務不履行があることを前提とする民法四一五条に基づく請求はいずれも失当というべきである。

四  以上のとおり、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないのでこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田保幸 藤村啓 潮見直之)

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